シャーレーポピー、ダーチャの染谷くん
昨日まであんなに小さなつぼみだったのに、翌朝にはもう花ひらいている。
この時期の庭は展開が早くて目を離せない。明るくなると庭で起きていることを
確かめたくてぼさぼさ頭のまま外へ出る。朝露で空気がまだ湿っているなら
パーカーのフードをかぶればいい。フードをかぶったら『TOKYO TRIBE』
の染谷将太くんになった気分だ。そうだ染谷くんのラップを真似ようとしたけれど
はて、肝心の歌詞は。そもそも覚えていないんだった。じゃぁあくまで気分だけ。
そうしよう、何でも気分が大事なんだな。
ケシ科ケシ属
学名:Papaver rhoeas
英名:Shirley Poppy
和名:雛芥子(ひなげし)、虞美人草(ぐびじんそう)
事件は現場で起きるというが、ダーチャでも然り。今朝も異変は起きていた。
昨日まであんなにしんなりしていた八重咲き‘シャーレーポピー’の蕾が
オレンジ色の花になっていた。また、開花の瞬間に立ち会う事は叶わなかった。
中国を旅した時。広西州から雲南省まで寝台列車で移動したことがある。
給湯器やお手洗いへと続く車両間にずっと3人の男が立っていた。背広を着た
2人とうつむき加減に立つ、くだけた格好の男1人という組み合わせ。ここは
寝台車。くだけた彼はいいとして誰もがくつろぐおうち着の中、眼光鋭い
2人の男の背広姿は異様に目立った。何だか刑事ドラマの刑事と犯人みたい
だな〜なんて思っていたら明け方、停車した駅でちょうど降りて行く3人に
出くわした。くだけた格好の彼の手には手錠がしてあった。本当に、事件は
現場で起きていた。
*犯人ではありません。
ここ日本でふつうに暮らしていたら刑事と犯人が揃って現れる機会なんて滅多に
ないんだから、たった一度の中国旅行でそんな光景を見かけるとはどんだけ
高い確率なんだ。そう鑑みると日々、庭で起きているはずの開花の瞬間に
これだけ立ち会えないのは不可思議を通り越して摩訶不思議、もしかすると
もうこの世の営みではないのかもしれない。
シャーレーポピーは1880年代の英国 Shirley(シャーレー)で交配を繰り返した
牧師の手により誕生した。それで地名が花の名についたことよりも、この牧師が
雛芥子の花にいかにご執心だったかが想像されていかにも英国らしいと感じる。
大きくてインパクトあるヨーロッパ原産のポピーは少し頭が重そうだ。
近くで覗き込んだり、遠巻きにオレンジ色が揺れるのを眺めたり。嬉しそうな
ダーチャの染谷くんを眺めるもうひとりの自分。
花の終わったカレンデュラとパンセ(パンジー)のオレンジと黒があんまりきれい
なので、摘み取ったあと台上に置いた。風で飛んだパンセは下で、カレンデュラは
そのままで。風雨にさらされより一層美しい。
桃色に染まる‘誰そ彼’時。明日に向かって鎮む太陽。
そろそろ染谷くんのパーカー洗うかなー。
ライダーハウスくろねこや
早く目が覚めた朝、licaさんに頂いたサンキャッチャーの周りに、もう何年も前に
ウィーンの手芸店で見つけたオーナメントを飾り付けた。緑の中にきらきらと輝く
透明なものがあると空間が華やいでとてもいい。
飾り付けて満足して二度寝する時になって、そういえば今日がネイティブ・
アメリカンが「ストロベリームーン」と呼ぶ6月の満月だと気がついた。ちょうど
苺の収穫時期と重なるのでこう呼ばれるそうで、それにしても「苺の頃の満月」
って表現は可愛いと思う。
ピオニー(芍薬)の向こう、野菜苗コーナーをのぞむ。
手前の玉ねぎとお芋のコーナーはあっという間に雑草ワールドになった。いつもの
ことながら、緑たちの成長スピードの早さには舌を巻く。二度寝から覚めたら
手入れをしよう。早起きをして外に出て、お風呂に入ってまた朝寝する。山鳩や
セキレイのさえずりを聴きながら、山の中のゲストハウスにでも滞在している
気分だ。まるで時が止まったような、こんな日常を送っているからちょっと
頭のネジが緩いのか、そもそもネジが緩んでいるからこういうライフスタイルに
なっているのか。この問題は、たまごが先かにわとりが先か未だによくわからない
のと一緒で、もしかすると永遠に答えは出ないのかもしれない。
ちょっといびつだけど、春先にハート状に植え付けたお芋の葉。何となく、
ハートに沿った形で葉を茂らせていた。玉ねぎの芽も伸びていて、まさかお芋も
玉ねぎも、こんなにファンシーなことになるとは想定もしていなかったろう。
大きなピオニーの花や、黄色や黒のパンセ(パンジー)を水に浮かべたり、庭の
あちらこちらを手入れしていたら、青いTシャツ姿のさわやかな人が自転車を
押して銀座坂を上ってきた。以前、ここがライダーハウスくろねこやだった時、
定宿していたという人だった。
ナルシマさんのギンザ洋装店のあと、ふつうにご家族が暮らす家だった時期を
経て、この建物はライダーハウスとしても活躍した。確かに、ペンキを塗る前は
当時のライダー達が残したサインという名のらくがきがたくさんあって
「くろねこやのおばちゃん有難う」「くろねこの‘あお’可愛い」という表記が
とても多かった。黒猫だけど‘あお’とはこれいかに?という疑問はさておき。
この‘おばちゃん’という人がとても慕われていて、数年に一度、この日のように
昔を懐かしんでライダーがふらり訪れる。中には、今は台湾で暮らしている
その‘おばちゃん’と文通しているというツワモノもいた。一体全体おばちゃんは
どれだけ愛されるお人柄だったんだろう。
廃材やいろんなものが雑多に置かれた物置に『くろねこや』の木の看板が残って
いる。それをつけたらきっと「ライダーハウスが復活した」と思われるだろうな。
今は可愛い東欧雑貨店だけど。
まさにここで寝泊まりしていたというその人は、すっかり様子の変わった室内に
感動していた。当時、二階にはあまり上がらず(何せ階段が今よりもっと急で
傾きも激しかった)、もっぱら仲間と一階で雑魚寝していたそうで「今みると
そんなに広くないのに、よくあんな人数で寝泊まりしたなぁと思って」と、
その頃のことを思い出しながら話す様子に、この人がどれほど楽しい時間を
ここで過ごしたかが垣間見えて微笑ましかった。
誰かのストーリーに触れるたび、その人の物語の片鱗にアクセスできた気がして、
何だかとても豊かな時間を共有できたような感覚にくるまれる。そしてふと思う。
あの人が醸し出していたさわやかさは、もしかするときらきらとした体験や
思い出が多いからなのかもしれないと。
思い出の庭
外壁の応急処置が終わり、実家からピックアップしてきた母のガーデン雑貨を
ダーチャまわりにディスプレイしたり寄植えを作ったりした。
新旧パッチワークになった外壁。防腐剤塗りたての新しい板には、イギリス製の
ガーデンツールをかけた。熊手(rake/レイキ)と、園芸フォーク。
弧を描くメタル製オブジェは昔、ロンドンのChelsea Gardener (チェルシー・
ガーデナー)で入手した寄植え用。現地ではぎっしり水苔を詰めて観葉植物を
植え付けていたっけ。母が生きていた頃、このオブジェに銅葉ベゴニアを植栽した
ことがあってなるほどなぁと感心した。我ながらマザコンだなぁと思うのだ
けれども、母とは、かつて親友で一緒にガーデニングを楽しんでいたという感覚が
ずぅっとあった。会うと私達は、彼女が撮りためた世界のガーデンをめぐる番組を
夜ふかしして見たり、いろんなガーデンショップをめぐったり、母の庭に割れた
陶器やガラスを敷きつめたコーナーを作ったりした。ロシアや東欧諸国で
その国の園芸誌を買ってきては母に渡し「結局、どの国もイングリッシュ・
ガーデンをベースにしてるんだね」と紅茶を飲みながら話したりした。
まぁそんな思い出にひたりながら、壁面用のアイアンバスケットに花苗を寄植え
する。まったくもって彼女はガーデン用品を集めに集めたものである。寄植えに
用いた花はパンジー・ビオラ・ガザニア。いつもの農家さんで選ぶ花苗は、
こうしたいわゆる‘おばあちゃん花’が必ず揃えてあるところがいい。
添えたグリーンは斑入りアイビー、森に生えている蔓植物。私はよく、
森に「くださいね」と一声かけて植物をわけて頂く。この蔓植物はマサキの
ようだけれどよくわからない。きっとそのうち園芸博士が現れて、この植物の
正体を明かしてくれるだろう。
ところでパンジーのことをフランスでは‘思想’を意味する「パンセ」(pensee)
と呼ぶ、と植物にまつわる書物で知ってから「今日もパンセは物思いに
ふけってるかな?」とのぞき込むようになった。重さで前方に傾きがちに咲く
この花の顔を、深く思索にふけっているところと捉えたフランス人の感性。
クリーム色のきつねのてぶくろ(ジギタリス)が入ったブリキ缶は、スペインへ
行った時に母へのおみやげに買ってきたもので、もう花の絵の部分がやけている
けれどパッキングに難儀した記憶とセットで愛着がある。
スペインでは、バルセロナからアンダルシア地方へ移動する夜行列車の中で、
近くの青年がパウロ・コエーリョの『アルケミスト』スペイン語版を読んでいた。
アルケミストは、アンダルシアの羊飼い・サンチャゴが夢のお告げに従って
エジプトのピラミッドまで人生の叡智を学びながら旅をする物語。
サンチャゴは、フランスからスペインにかけてピレネー山脈沿いの巡礼地、
サンチャゴ巡礼からとったのだろう。
古いのこぎりの刃や陶器の花をかけた場所。ここはまだ何とか板がもっているので
板壁の応急処置はせず古いままだ。
ズッキーニ、ナス、ピーマン、銅葉レタス、銅葉マリーゴールド、紫キャベツ、
ミニトマト、バジル、シルバーリーフのガザニア。厳密なコンパニオンプランツ
ではなく、自分の感覚によるコンパニオン(仲間)達。これで‘パンセ’と
一緒に買ってきた苗たちはすべて、各コーナーにおさまった。
ここからは、越冬して毎年 顔を出すダーチャのレギュラー達。
セントーレア・モンタナ
キク科ヤグルマギク属
学名:Centaurea montana
英名:mountain cornflower
とげとげした花の姿が個性的な、きれいな紫色のセントーレア・モンタナ。
ヨーロッパ南部の山岳地帯を中心に分布する花で、‘モンタナ’はラテン語で
「高地、山」の意。東欧各地で帰国後の「おすそわけハーブティ」を
チョイスする時、「アルパイン」という表現によく触れる。どうやら
ヨーロッパの大山脈「アルプス山脈」のような高所に咲く山野草が
ブレンドされたお茶という意味合いで用いられている。
ちなみに‘セントーレア’はギリシャ神話に出てくる半人半馬の
ケンタウロスから。神話ではケンタウロス族のケイローンが負った傷を
セントーレアの花で治したとある。セントーレア(矢車菊)は種類が多く、
こちらはセントーレア・モンタナの白。
この庭に、昔々に植栽された芍薬(ピオニー)も満開になった。
ボタン科ボタン属
学名:Paeonia lactiflora
英名:Chinese peony
芍薬はシベリア、中国、モンゴルあたりが原産。日本には中国から入ってきたと
いう。江戸時代には茶花として愛でられていたというのだから
帰化した歴史も長そうだ。
昨日の夜は稲光、雷鳴と土砂降りが激しかった。真夜中の不意の出来事に、
やわらかな芍薬の花はどうなったろう。いろいろ気になって、ちっとも
じっとしていられない。雪に閉ざされている期間が長い分、暖かくなると
どうやら生命を謳歌するしかない選択肢。
ギンザ洋装店、外壁の応急処置とパラレルワールド
東京の銀座で洋装店を営んでいたナルシマさんが、戦争で疎開してきたこの地でも
洋装店を営み、それでこのダーチャ前の坂に‘銀座坂’という愛称がついたという話。
その場所は旧簾舞通行屋前の通りにあった商店街と聞いたけれど、この地図を
見ると教えられた場所にあったのは別な洋装店で、ナルシマさんの洋装店はまんま
この場所だった。しかも‘銀座’はカタカナ表記の‘ギンザ’だった。昭和10年代の
カタカナ表記なんて相当ハイカラだったんじゃない?
で、昭和10年って今から何十年前になるかなぁ?って計算しようと一旦、西暦に
変換するこの作業。こうやってこれまでに何十回、何百回と和暦と西暦を換算
してきた。その間に和暦は昭和、平成、令和と変わり西暦とますますかけ離れて
行く。西暦と和暦、ふたつの時間軸が実しやかにカレンダーに並ぶ世界には、
そりゃ日常的に並行宇宙(パラレルワールド)も存在するだろうって思いたく
なるわけだ。なんてことを思いながら変換した「昭和10年」は西暦にすると
「1935年」だった。今から85年前の物語。
この建物にナルシマのおじいちゃんがいてテレビや応接間があって、ここで紅茶を
ごちそうになったことがあるって覚えていたご年配の人がいた。この建物って、
昔も今も舶来物を好む人の利用頻度が高いらしい。
腐って落ちていた部分をジャッキアップして、しっかりした柱を打ちつけて頂く
これまで、どれだけの人が「とりあえず」という名の応急処置を施してきたか
わからないこの小さな木の建物を、ミイラ取りがミイラになって維持しようと
する自分がいる。ふと、無数のパラレルワールドの中には、もっと早くに補修に
乗り出していた自分や器用にDIYする自分、そもそもここで暮らしていない自分も
いるんだろうなと想像する。もっと微細な、今と何も変わらないようだけれども
誕生日が違う自分、生まれた場所や家族構成が微妙に違う自分とか...。
今、自分と捉えているこの存在はいつも陽炎のようにゆらいでいて、実体がないと
思うとしっくりくるし、整合性がとれていると感じる。
この面には毎年、かなりの量の雪がたまる。もはや再利用もかなわない腐った板を
取り除き、スタイロフォームを入れて新しく防腐剤をぬった板を張って頂いた。
少し前の自分が想像していなかったような美しい光景が目前に広がる。
たぶん人間は、さまざまな場所を歩きまわりいろいろな情報をスキャンして脳内
メモリーにインストールしているんだと思う。目や他の感覚機能で捉えたデータが
蓄積されて、ある一定値に達すると、それに関する事象が、実際(と思っている)
の世界に具現化(ダウンロード)される。今、こうして流れ出てくる言葉も
そうだ。それは映画『マトリックス』の、あの世界そのものを構築するコード
(上から下に落ち続けるデジタル雨)の表現に似ている。その流れ落ちる無数の
文字、記号、配列の中からこの状況や心境に最適と感じる文字列(単語とか
印象深いセンテンスまるごととか)を選択する。イメージにすると、流れ続ける
デジタル雨の中から指で使いたい部分を選んで抜き取る感じに近いかな。それを
パソコンのキーボードでこうして言葉に置き換えていく。
この作業はたぶん、言葉を紡いでいる。視覚と、左の手と右の手と。この両手で
言葉を紡ぐ時、まるで鍵盤楽器を奏でているような錯覚に陥る。すると鋭敏に
なった聴覚がキーボードを打つ時の小気味良いカタカタという音や旧型タイプの
冷蔵庫が出す機械音、山蝉の鳴く声や時折通る車の音などすべてを心地よい
アトモスフィア音楽として感知する。もしかするとこの世界には、キーボードの
「T」や「Y」「_」や「L」などの文字を打つ時の音の微細を聴いている人も
いるんじゃないかな。
この写真を撮った時の自分はもういないし、でもまたいつかふとした時に現れる
かもしれない。どの自分になっても、軸にもどれればいいっていうだけのこと
なんだな、きっと。今日も庭が呼んでいるよ。
苗とガーデン雑貨がやって来て、雨後の苗植え
苗をいろいろ入手して、母のガーデン雑貨をピックアップして戻ってきたら
雨になった。
コロすけの外出自粛要請がいったん解除になったタイミング。久々の実家で、
妹と相談しながらOKの出たスチールオブジェやプランターをどんどん物置の
外へ並べる様子を父が嬉しそうに見ていたのだけれども、苗とあわせると
かなりの量になったので、「全部、車に乗るのか?」と後半はぎょっとしていた。
(もちろん、全部乗せてきました)
母が残したものをこうして有効活用することで、まだこっちの世界にいる私達に
彼女のエッセンスというかフィーリングが融合されていく感じがする。
雨で作業はできないけれど、移動で乾いた苗と埃っぽいガーデン雑貨にとっては
きっと快適な水浴び。
で、雨のあがった今日。
この間あけたスペースにさっそく野菜苗を植え付けようとしていたら、
家系図を調べる風流な趣味を持つ件の知人が、お友達と一緒にふらっと寄ってくれた。
ふたりに、店内の改修は先祖が同じ岐阜県郡上の人の紹介だったことを話すと
揃って嬉しそうな表情になった。そしてお友達の方が「そうなんだよね、縁で
つながって行くんだよね」としみじみ言った。そのあとの「ご先祖さんが隣村同士
だった」といった話の流れから、そうかふたりは家系図のお仲間なんだとわかり
合点がいった。ちなみに知人は安倍晴明ではなく、晴明の師の賀茂さん筋と家系が
つながっていたそうだ。
彼女達と話していると、世俗を超えた悠久浪漫のただ中にいるような感覚になって
わくわくする。
そんな雅なプチトリップを経て、世俗に戻る。
ナス、ピーマン、ししとう、唐辛子、ズッキーニ、ミニトマトとバジルの苗の
植えつけ。ミニトマトはトスカーナ・バイオレット(紫)、アイコ(赤)、
チョコちゃん(チョコレート色??)。そしてバジル。
こっちのミニトマトはロッソナポリタン(赤)、イエローアイコ(黄)。
間にダークオパール・バジル。トマトとバジルはコンパニオンプランツで、
一緒に栽培すると病害虫の予防になったり互いの成長促進をしたりする。
バジルとミニトマトを植え付けたあと。
コンパニオンプランツ、この本わかりやすかったです。
↓
それから、誰か器用な人の作った古いミルク缶の脚付き容器に
ナスタチウムを植え付け。(後ろの銅葉色は赤紫蘇ではなく、
リシマキア・ファイヤークラッカーという園芸種)
だんだん、黄色とオレンジ色のナスタチウムがこんもり茂ってくるだろうな。
名前がわからなくなった可愛い花
今日は他にも、亜麻やニゲラの花苗を植えた。紫キャベツや銅葉レタス、
カレンデュラ、ビオラ、シルバーリーフのガザニアなどまだまだ植える
苗が待っている。明日も、配色や植え付ける場所を考えながら庭をうろつく
時間を楽しもう。
下見板張りの応急処置、ナチュラル・ミステリー・プランター
ダーチャ小屋の外壁は、下の板に上の板が重なるように貼り合わさっている。
こういう貼り方を「下見板張り」というのだと、いつだったかみえた古民家や
歴史建造物に詳しい方が教えてくれた。
今、Mさんことトクナイ先生に、この外壁の応急処置をして頂いている。ご本人は
謙遜するのだけれども行き届いた丁寧なしごとの数々は「センセイ」としか呼べず、
ダーチャを訪れた人(特にこれまでの様子を知っている人)は皆、いかにこの難易度
の高い建物を技術と遊び心でここまで瀟洒にしたかに感動し、「よい人にめぐり逢い
ましたね」「良かったですね」と一緒に喜んでくれる。そこに「ビフォー・アフター
ですよね」と言葉が重なる軽妙洒脱なやりとり。
下見板張り風に貼ってくれた奥の1コーナー。一見、真っ白にペイントされた壁なの
だけれども、間近で見ると木目もわかる。こういう部分を発見しては感嘆したり感心
してくれる人が多いのもまた「もっとここを良くしたいなぁ」という原動力になって
いる。
こちらの懐具合の兼ね合いで外壁の修繕は少しずつ。当面は手をかけられる部分のみ
お願いする応急処置になるけれど、浮ついて外れそうだったり亀裂が入った板が
しっかりと打ちつけられて、もともとの外壁の間にパッチワークになる様が、愛嬌が
あって微笑ましい。
下見板張り風の壁に、古いマチョー刺繍の飾りフレーム
窓辺の先に、最近 見かけるたび破顔してしまう可愛いプランターを置いてある。
雪の下で越冬したムスカリだけのプランターに、どこからか飛んできた たんぽぽや
ふきが、おんなじサイズ感でナチュラル寄植えになったもの。意図せずして
出来上がる、こういう自然現象を発見する楽しさ。何が混植するかわからないので
こっちは、オドリコソウ。
オドリコソウ
シソ科オドリコソウ属
学名:lamium album var. barbatum
和名:踊子草
ラミウムは園芸種がたくさんあってこれは自生するタイプ。別な場所には斑入りに
新種改良されたものも植わっている。試したことはないけれど踊子草は食用、薬効
もあるそうだ。
勝手に命名した「ナチュラル・ミステリー・プランター」は、土だけを入れた
プランターを置いておき、そこに自然とつく植物の様子を観賞する楽しみ方。
何がつく(根付く)かわからないところ、まったくもって作為がないのに意外と
いい感じになるのところがおもしろい。ベランダでも、土だけ入れたプランター
を置いておいたら、ある日、身近だけれど思いもかけない意外な植物が生えて
くるかもしれない。
庭の奥の、こんもり茂ったスギナなどの草をよけた。
あいたコーナーには野菜を植える予定。
ナス、ピーマン、ししとうはマストかなぁ。あとはどうしようかな。あ、トマトも。
トマトのそばにはやっぱりバジルを植えたいね。ナスタチウムもほしいなぁ。
というわけで。毎年、野菜苗を買いに行く農家さんへこのあと行ってきます。
諸君〜、春は苦いものを食べよ。
こんなタイトルにしたものだから、『攻殻機動隊』のタチコマとソ連時代の
プロパガンダアートがいっせいに頭の中にほわほわと浮かんできてしまった。
OK、いったん頭の中を空にしよう、心をしずめよう。
先日、licaさんと山菜の話をしていた時に「春は苦味をとるといいのよ」と
教えてもらった。確かに春の味覚といえば山菜で、山菜って苦いよね。
諺にも「春の皿には苦味を盛れ」というのがある。苦味は五味(酸味・苦味・
甘味・辛味・塩味)のひとつ、中国の五行説では木(酸味)・火(苦味)・
土(甘味)・金(辛味)・水(塩味)にそれぞれ対応する。古来より毒には
苦味を含むものが多く、人は苦味を感じると吐き出すという本能的な反応を持つ。
山菜は苦くえぐみも強いけれど、細胞を活性化する栄養素がたっぷり含まれ
冬の間に体にたまった脂肪や老廃物をデトックスしてくれる作用も併せ持つ。
ダーチャが山エリアというのもあるだろうけれど、私の周りには山菜や食に精通
している人が多く、恵まれているなぁと思う。ミックスハスキー メイシーちゃん
(この時 3ヶ月手前)のお父さんであるポカリさんも、いつも美味しい食材を
おすそわけしてくれたり、レシピを教えてくれる「おいしいものメンター」の
ひとりだ。
採ったばかりの行者ニンニクをいただいた時の1枚。
<おいしいものメンター ポカリさんのレシピ1>
1,行者ニンニクを切らずにそのままオリーブオイルでソテー
2,全体に火が通ったらさっとワインをかける(赤でも白でも)
3,とろけるチーズをのせる
手軽で簡単、アウトドアでも取り入れられる調理方法。
何より、行者ニンニクが豊富にないとできない贅沢な食べ方だ。
そして昨日は採れたての立派なウド。惚れ惚れする深山のパワフルさ。
採れたての新鮮なウドはアク抜き不要。皮も柔らかくこのまま食べられるという。
ポカリさんが、また超手軽な調理方法を教えてくれた。
<おいしいものメンター ポカリさんのレシピ2>
1,ウドを細かく切る
2,お味噌汁の具にする
「ウドをお味噌汁に?」意外だったのだけれども、これが美味だった。ちいさな
味の新境地。こういう小さな発見、喜びのひとつひとつが日々の糧となり暮らしを
彩っていくのだと実感する。
こちらは定番の酢味噌和え。ウドが新鮮なのでそのまま和えた。苦味と柑橘類の
ようなさわやかさが混じり合うこの独特の味。まさに、春の味である。
またある日の食卓。
きのことウドのチーズ絡め・パプリカパウダーライスのワンプレート。
昨年までおうちのあった跡地が一面、たんぽぽ畑になっている。
たんぽぽの花もベルギーでは‘たんぽぽジャム’として愛用されていると
licaさんに教わった。「そうだ、これって西洋たんぽぽなんだよなぁ」と
すっかり帰化した風貌の黄色い花たちを見ながら思う。たんぽぽも葉は
サラダにするけれど、やっぱり苦い。
あ、それで思い出したんだけど。「苦い」にちなんだ諺もうひとつ。
良薬は口に苦し。よく効く薬は苦いように、身のためになる忠告は素直に
受け入れにくいという意味だ。苦すぎると吐きそうになる。耳にイタイと
聞きたくなくなるものだけれども。諸君〜、春は苦いものを食べよう。