夏至の日のこと、続・ナルシマさん

 

2020年の夏至の日(6月21日)は、日食(アフリカからインド、中国、台湾では

金環日食)と新月が重なる占星術的にも天体的にも珍しい条件の揃う日だった。

(と、ゲイカップル占星術トシ&リティ も言っていましたよと。)

だからかな、夏至の前後 数日間はテンションが上がって上がって、毎日 気心の

知れた友達と会って夜まで話したり、夏至当日は新月で暗く空も曇って濃霧まで

出てきたのに夜ドライブに付き合ってもらったりした。一緒に過ごしてくれた皆

どうも有難う。

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ダーチャの苺。小さな実がなってたまらなく可愛い。

 

朝、夏至の日生まれの友達にお祝いのバースデーメールを送る。夕方、知人から

「念願の環状列石に行ってきました。日食メガネ持っていったけど日食は

見えなかった」というメールが届く。以前、この知人に夏至の朝、とある

環状列石でシューマン共振の音を聴いた話をしたのを覚えていてくれた事が

嬉しかった。

 

今年は夏至の朝にシューマン共振を聴くことはなかったけれど、2020年は

例年よりシューマン共振が大きく響いているそうで、1週間ほど前のちょうど

日の出の頃、眠っていたら耳に振動音のようなものが響いて「あ、これって」

と目を覚まし、体を起こしその音に意識を向けた事があった。環状列石では

意識を向けると共振音が大きくなって、まるでシンギングボウルのように

脳内に音が響いて驚いたけれど、この朝の音は小さいままだった。

 

シューマン共振は、太陽風や雷の放電などの電離層で起こる震動で

シューマン共鳴」とも呼ばれる。なるほど環状列石で聴いた音はまさに

共鳴だったなぁと思う。ふだんはなかなか聞こえないけれど常に観測できる

そうで、昔の人にはもっと頻繁に聴こえていてそれでシンギングボウルの

ような楽器ができたんじゃないかなと空想をする。一度聴くとアンコール

したくなる不思議に魅惑的な音で、はじめて聴いた年の感動さめやらず、

何年か続けて同じ場所へ通ったけれど、二度とあの素晴らしい音を聴くことは

叶わずにいる。

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前日、まるで夏至の前夜祭のように夜遅くまでトーク炸裂したlicaさんがこの日も

ふらっと訪ねてくれて、ふたりで小さな苺をヨーグルトにのせていただいた。

一緒にのせたアップルミントの葉も、その横のアルケミラ・モリスも庭からの

恵み。一年で最も太陽が長く世界を照らす日の、ささやかで寿ぎに満ちた喜び。

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アルケミラ・モリス

 バラ科ハゴロモグサ属

 学名:Alchemilla mollis

 英名:Lady's mantle

 和名:レディースマントル

 

属名「アルケミラ」は Alkemelych(錬金術)という意味のアラビア語にちなむ。

可愛い形をした葉にたまる雫が中世の賢者の石を作るのに用いられたとか、

葉の形が聖母マリア様のマントのようだと表現されたりする。

女性の病気(月経不順、更年期障害、胃腸炎の改善など)に効くことから

西洋では「a woman's best friend」(女性の良き友)という表現もある。

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アルケミラ・モリスの可愛い黄色い花。山みつばの小さな白花やマーガレットと

一緒に玄関に飾る。花器は昔、友達にもらったツェツェの試験管ベース。当時は

この発想、とても斬新だった。

 

 

ところでダーチャには「これがなかったらなぁ」といつも見上げる一本の電柱が

立っている。NTTの電柱で、上には電力会社の電線が張り巡らしてある。この

電柱の線に、樹々の枝葉が触れそうで危うくなっていた。春先、最も危ない枝

だけは頑張って切り落としたのだけれども、チェーンソーは持っていず、木を

まるごと切ることは諦めていた。

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夏至の数日後から、地主さん達が周囲の雑草や樹々の環境整備を始めた。電線に

今にも絡みつきそうなくるみの木のことを話してみたら、皆すぐに「あの電柱の

でしょ」とわかってくれた。そして作業の合間に伐採してくれる事になった。

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チェーンソーの小気味いい音のあと、大木の倒れる様子も圧巻だった。

 

くるみの木と、桑の木と。生えている場所によっては最高の組み合わせなのだ

けれども。桑の木はくるみと樹形が違うのと、蜂よけの手作りトラップ

(ペットボトルにジュースとお酒をブレンドしたもの)をかけるので、

不要な枝のみ切ってもらって残すことにした。この辺りはリスが走りまわるので

くるみの殻がたくさん落ちていてよく芽を出す。そして放っておくとなかなかの

スピードで成長する。

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旧黒岩家住宅側からの長め。木がなくなってとてもすっきりした。

 

地主さん達と旧ナルシマ邸を見ながら話していて、またギンザ洋装店に関する

情報が更新された。洋装店は街中にあり、簾舞からオーナーのナルシマさんが

店まで通っていたと聞いたことがあったのが、やはりそうだったと判明したのだ。

皆さん、洋装店のあった正確な街中の場所も、ナルシマ一族のその後も

知らなかったけれど、これでまたひとつナルシマさんに関する物語が進んだ。

進むとさらに新情報に行き当たるもので。1969年、アポロ月面着陸の年に

宇宙をイメージした『COSMO(コスモ)』という寄合百貨店(百貨店はかつて

こういう言い方をした)が街中に開業した。それまで狸小路商店街や札幌駅前に

あった店がテナントとして入り、その中に「ギンザ洋装店」も名を連ねていた。

 

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ナルシマさんの物語には、今後もひょんなタイミングで続編が届くのだろう。

電線に樹々が干渉する心配がなくなった庭で、大きくなったナスタチウムの花や

バジル、レタスなどのハーブや葉もの野菜を摘み取った。

 

ナスタチウム

 ノウゼンハレン科ノウゼンハレン属

 学名:Tropaeolum majus

 英名:Nasturtium

 和名:キンレンカ金蓮花)、ノウゼンハレン(凌霄葉蓮

 

 

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ナスタチウムは花も葉も食べられる。この日は花をメインにしたサラダ。

 

重なっていてわかりにくいけれど、ナスタチウムの花の下にはバジル、サラダ菜、

銅葉色のレタス3種類が入っている。油断するとどんどん成長してトウが立って

しまうので、この時期は毎日、庭の野菜をせっせと収穫しては炒めたり、生で

食べたり忙しい。でも、こんな忙しさならむしろウェルカムだなぁと思う。

 

ドレスデンのパンクガーデン。あと、YouTube始めました。

 

車に乗ると何だか暑くて、ヒーターが入っているのかとエアコンパネルを

カチカチやったら外気温が出た。26℃だって。北海道にいたらそれは

暑いよ。空は曇って青空ひとつ見えなかったのでまさかこんなに気温が

上がっていたとは意外だった。夏至の日の夜なんて14℃しかなかったんだ

から、とりあえず初夏としては上々かな。

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暑くなると思い出す庭があって、それがここ、ドレスデンのとある

古物ディーラーの倉庫だ。腕にがっつしタトゥーの入ったお兄さんとお姉さんは

体格がよくコワモテで腕っぷしが強そうだ。ふたりとも黄色や青のタンクトップと

ショートパンツという軽装だからタトゥーがより目立つしお姉さんの赤く染めた

髪色が映えている。

ラクタの山が眠る巨大な倉庫と倉庫の間を汗だくで歩く。一見、お宝が

ありそうで心躍るけれど近づくとそうでもないしむしろゴミという期待と失望を

繰り返す。これが古物探しの醍醐味だし、だからこそ‘掃き溜めに鶴’な出物を

掘り出した時の喜びもひとしおというものだ。

 

合間に見つけた落書きだらけのコンクリート壁のペチュニアは、この強烈な

日差しをものともせずに満開の花をつけていた。

 

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壁の錆びた鉄沿いにグリーンが這い、ミニ薔薇が咲いている。壁掛けの

かごの中からは赤いペチュニア。廃材がごろごろ転がる光景はジャンクを

通り越してパンクな空間なのだけれども、すくすくのびのび育つ植物たちは

「僕たち、大事にされてるよ」と喋らずとも、その成長具合で語っていた。

ふと見ると、先程の赤い髪にタトゥーのお姉さんがプランターの植物に

じょうろで水をあげていた。少々、荒くれ者な雰囲気が漂ったって、この庭を

見ればお姉さんの愛情がどんなに深く満ちているかが伝わってくる。パンクな

空間と愛される植物たちという構図はまるでこの真夏の太陽のように

明るくコントラストが強かった。

 

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別のコーナーでは、ナスタチウムものびのびしていた。

 

ドレスデン(Dresdene)はドイツ東部ザクセン州にある古都で、東西に

ドイツが分断されていた頃、東側だったエリアだ。(東がソビエト側、西が

アメリカ側)30kmほどでチェコの国境という立地、街を流れるエルベ川

沿いに真冬でも蚤の市がたつ。そんなわけでDDR東ドイツ)ものを求めて

訪れた夏の日の一コマ。ロシアを訪れるようになり、めっきりドイツを

まわることはなくなったけれど、このパンクな庭のことはきっと一生、

忘れないし、今年もあのお姉さんはクールに植物たちの面倒をみているだろう。

 

 

あと、YouTube始めました。


Introduction; дача ダーチャのある暮らし

 

私のダーチャに きのこ と こびと はマスト=つきものなのだけれど、

ドイツでもよく「きのことこびと」のオブジェやアイコンを見かけた。

ちなみにこのラブリーな瞳のこびともドイツ製だ。

 

ちょうどマーガレットが花盛りの頃に撮ったのでムービーも

マーガレット押しになっている。音楽も友達がつくってくれた。

手づくり感満載のyouTubeムービー、よかったらのぞいてみてね。

 

 

Solo Solo Shanti ソロ・ソロ・シャンティ

 

閉じかけたオリエンタルポピーの花は三角形をしている。

 

つぼみが大きく少しずつ花びらの開く様子を眺めることのできるこのポピーには

先日のシャーレーポピーのような「ある日とつぜん感」がなかったりする。

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 オリエンタルポピー

 ケシ科ケシ属

 学名:Papaver orientale

 英名:Oriental Poppy

 和名:鬼芥子・鬼罌粟(どちらもオニゲシと読むけれど、後者の漢字の真ん中の

    文字、初めて見た)

 

 

雨模様だったけれど、仕事が一段落したので海へ行くことにした。コロすけ自粛

期間中からずぅっと行きたかった石狩の浜辺。ここはハマナスなどの海浜植物が

自生していて、その種類は180種に及ぶ。波の音を聴きながら海浜植物の間を

ぬうように歩くのがいいし、石狩川日本海が合流するポイントなのもいい。

車で1時間ほどの距離は気分転換のドライブに最適だし、以前、もっと近くに

住んでいた時は真冬にも訪れていた。春夏の快晴のもと点在する海浜植物の花を

鑑賞するのも、秋に強風で波の轟くのも、冬の雪に閉ざされ険しい感じも、どの

季節に訪れてもこの場にしかない魅力がある。 

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家から遠のくほどに小雨になり、海が近づくにつれ雨脚は弱まっていく。そして

到着する頃には完全に雨はやんでいた。車をおりると湿気を帯びた潮の香りが

漂っていて、遠くで波の音が心地よいリズムを奏でる。日はすでに暮れかかって

いたけれど厚い雲に覆われた空の濃淡を帯びた藍色が美しい。

 

浜辺へ出ようと歩いて行くと、ちょうど道の先にワゴン車が停まっていた。

工事車両が何か作業をしているのか、すべてのドアが開け放たれている。

何にせよその車の横を通らないと浜辺へ出られない。近づいて行くと女性の、

英語の話し声。誰かと電話しているみたいだ。いきなり車の脇に現れた私に

彼女も驚き、でも私ひとりな事に安堵したようだった。その間にも、今日という

日を照らした陽光はすでに姿を消しかけている。「こんばんは」と通過する

だけの意思を示して浜へ出た。

 

海は凪いでいた。陽が海の向こうへ完全に沈み、辺りの判別がつきにくくなる。

遠くで灯りがきらめいている。波は一定のリズムで浜と沖とを行き来している。

何にもじゃまされることのない、穏やかで静かな時間。もう10年以上も前になる

けれど、車中泊旅行で北海道へ来た友達夫妻を案内しがてらこの浜辺で

バーベキューした時の光景がふと蘇る。ふたりはその後、紆余曲折あって

別れてしまったけれど、あの日ここですごした楽しい時間は永遠に、そのままの

形で記憶の箱の中にある。

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暗い中で撮ったのでふしぎな写真になった。

  

海と川が合流する場所へ移動しようと再度、ワゴン車の脇を通る。この時に女性と

会話を交わした。1週間前、東京から飛行機で北海道へ入り車をレンタルして

道内を旅している最中という。「Covid-19で大変じゃなかった?」と聞くと

「ちゃんとマスクしていれば問題なく」とのこと。ワゴン車をレンタルして

車中泊しながらひとり旅するなんて、何て素敵な。しかも海に面したこの場所で

プライベートビーチを堪能する選択。「Cool! I like your style」と告げると

嬉しそうに微笑む。それよりも何よりも。まさかここで誰かと会うなんて想像も

していなかった。かなり驚いたと言うと彼女も「Me too!」。お互いに Solo

(ソロ、ひとり)で動く身軽さが引き合わせたのかもしれないという旨を話す

語彙力がない。「ひとり旅は何かしら思いがけない楽しいハプニングをもたらす」

とりあえず知っている単語を並べ、ニュアンスで伝える。東京で暮らして1年に

なるという彼女はカナダ人で、たぶんこのくらいのやりとりに慣れている。

 

「お名前は?」こう聞かれる時いつもアーシュラ・ル・グインの『ゲド戦記』の、

「本当の名前は信頼できる間柄でしか交わし合わない」という魔術師同士の

しきたりのシーンを想起する。ゲド戦記では「自分自身の本当の姿を知る者は

自分以外のどんな力にも利用されたり支配されることはない」ともいう。

 

本当の名前、ホーリーネーム。さて。この世界で自分に与えられた本名という

ものは、果たして真実の名なんだろうか。名乗るというほんの束の間の

時間にもつい考えてしまう。そうしたら、彼女が先に自己紹介した。

「I'm Shanti」。「シャンティ?まるでインドの響き」と返すと「本名の音が

呼びにくいので、普段は皆にこう呼んでもらっているの」と言った。

シャンティはヒンドゥー語で「心の平安、寂静、内なる平和」を表す。

穏やかな口調の彼女らしい、なぜかホーリーネームだと思った。根拠がまったく

ないのだけれど名前を教えてもらった時、今日このタイミングでここを訪れた

理由がわかった気がした。

 

シャーレーポピー、ダーチャの染谷くん

 

昨日まであんなに小さなつぼみだったのに、翌朝にはもう花ひらいている。

この時期の庭は展開が早くて目を離せない。明るくなると庭で起きていることを

確かめたくてぼさぼさ頭のまま外へ出る。朝露で空気がまだ湿っているなら

パーカーのフードをかぶればいい。フードをかぶったら『TOKYO TRIBE』

染谷将太くんになった気分だ。そうだ染谷くんのラップを真似ようとしたけれど

はて、肝心の歌詞は。そもそも覚えていないんだった。じゃぁあくまで気分だけ。

そうしよう、何でも気分が大事なんだな。 

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シャーレーポピー

 ケシ科ケシ属

 学名:Papaver rhoeas

 英名:Shirley Poppy

 和名:雛芥子(ひなげし)、虞美人草(ぐびじんそう)

 

事件は現場で起きるというが、ダーチャでも然り。今朝も異変は起きていた。

昨日まであんなにしんなりしていた八重咲き‘シャーレーポピー’の蕾が

オレンジ色の花になっていた。また、開花の瞬間に立ち会う事は叶わなかった。

 

中国を旅した時。広西州から雲南省まで寝台列車で移動したことがある。

給湯器やお手洗いへと続く車両間にずっと3人の男が立っていた。背広を着た

2人とうつむき加減に立つ、くだけた格好の男1人という組み合わせ。ここは

寝台車。くだけた彼はいいとして誰もがくつろぐおうち着の中、眼光鋭い

2人の男の背広姿は異様に目立った。何だか刑事ドラマの刑事と犯人みたい

だな〜なんて思っていたら明け方、停車した駅でちょうど降りて行く3人に

出くわした。くだけた格好の彼の手には手錠がしてあった。本当に、事件は

現場で起きていた。

 

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*犯人ではありません。

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ここ日本でふつうに暮らしていたら刑事と犯人が揃って現れる機会なんて滅多に

ないんだから、たった一度の中国旅行でそんな光景を見かけるとはどんだけ

高い確率なんだ。そう鑑みると日々、庭で起きているはずの開花の瞬間に

これだけ立ち会えないのは不可思議を通り越して摩訶不思議、もしかすると

もうこの世の営みではないのかもしれない。

 

シャーレーポピー1880年代の英国 Shirley(シャーレー)で交配を繰り返した

牧師の手により誕生した。それで地名が花の名についたことよりも、この牧師が

雛芥子の花にいかにご執心だったかが想像されていかにも英国らしいと感じる。

大きくてインパクトあるヨーロッパ原産のポピーは少し頭が重そうだ。

近くで覗き込んだり、遠巻きにオレンジ色が揺れるのを眺めたり。嬉しそうな

ダーチャの染谷くんを眺めるもうひとりの自分。

 

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花の終わったカレンデュラとパンセ(パンジー)のオレンジと黒があんまりきれい

なので、摘み取ったあと台上に置いた。風で飛んだパンセは下で、カレンデュラ

そのままで。風雨にさらされより一層美しい。

 

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桃色に染まる‘誰そ彼’時。明日に向かって鎮む太陽。

 

そろそろ染谷くんのパーカー洗うかなー。

 

ライダーハウスくろねこや

 

早く目が覚めた朝、licaさんに頂いたサンキャッチャーの周りに、もう何年も前に

ウィーンの手芸店で見つけたオーナメントを飾り付けた。緑の中にきらきらと輝く

透明なものがあると空間が華やいでとてもいい。

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飾り付けて満足して二度寝する時になって、そういえば今日がネイティブ・

アメリカンが「ストロベリームーン」と呼ぶ6月の満月だと気がついた。ちょうど

苺の収穫時期と重なるのでこう呼ばれるそうで、それにしても「苺の頃の満月」

って表現は可愛いと思う。

 

 

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ピオニー(芍薬)の向こう、野菜苗コーナーをのぞむ。

 

手前の玉ねぎとお芋のコーナーはあっという間に雑草ワールドになった。いつもの

ことながら、緑たちの成長スピードの早さには舌を巻く。二度寝から覚めたら

手入れをしよう。早起きをして外に出て、お風呂に入ってまた朝寝する。山鳩や

セキレイのさえずりを聴きながら、山の中のゲストハウスにでも滞在している

気分だ。まるで時が止まったような、こんな日常を送っているからちょっと

頭のネジが緩いのか、そもそもネジが緩んでいるからこういうライフスタイルに

なっているのか。この問題は、たまごが先かにわとりが先か未だによくわからない

のと一緒で、もしかすると永遠に答えは出ないのかもしれない。

  

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ちょっといびつだけど、春先にハート状に植え付けたお芋の葉。何となく、

ハートに沿った形で葉を茂らせていた。玉ねぎの芽も伸びていて、まさかお芋も

玉ねぎも、こんなにファンシーなことになるとは想定もしていなかったろう。

 

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大きなピオニーの花や、黄色や黒のパンセ(パンジー)を水に浮かべたり、庭の

あちらこちらを手入れしていたら、青いTシャツ姿のさわやかな人が自転車を

押して銀座坂を上ってきた。以前、ここがライダーハウスくろねこやだった時、

定宿していたという人だった。

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ナルシマさんのギンザ洋装店のあと、ふつうにご家族が暮らす家だった時期を

経て、この建物はライダーハウスとしても活躍した。確かに、ペンキを塗る前は

当時のライダー達が残したサインという名のらくがきがたくさんあって

「くろねこやのおばちゃん有難う」「くろねこの‘あお’可愛い」という表記が

とても多かった。黒猫だけど‘あお’とはこれいかに?という疑問はさておき。

この‘おばちゃん’という人がとても慕われていて、数年に一度、この日のように

昔を懐かしんでライダーがふらり訪れる。中には、今は台湾で暮らしている

その‘おばちゃん’と文通しているというツワモノもいた。一体全体おばちゃんは

どれだけ愛されるお人柄だったんだろう。

 

廃材やいろんなものが雑多に置かれた物置に『くろねこや』の木の看板が残って

いる。それをつけたらきっと「ライダーハウスが復活した」と思われるだろうな。

今は可愛い東欧雑貨店だけど。 

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まさにここで寝泊まりしていたというその人は、すっかり様子の変わった室内に

感動していた。当時、二階にはあまり上がらず(何せ階段が今よりもっと急で

傾きも激しかった)、もっぱら仲間と一階で雑魚寝していたそうで「今みると

そんなに広くないのに、よくあんな人数で寝泊まりしたなぁと思って」と、

その頃のことを思い出しながら話す様子に、この人がどれほど楽しい時間を

ここで過ごしたかが垣間見えて微笑ましかった。 

 

 

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誰かのストーリーに触れるたび、その人の物語の片鱗にアクセスできた気がして、

何だかとても豊かな時間を共有できたような感覚にくるまれる。そしてふと思う。

あの人が醸し出していたさわやかさは、もしかするときらきらとした体験や

思い出が多いからなのかもしれないと。

 

 

思い出の庭

 

外壁の応急処置が終わり、実家からピックアップしてきた母のガーデン雑貨を

ダーチャまわりにディスプレイしたり寄植えを作ったりした。

c-dacha.hatenablog.com

 

 

新旧パッチワークになった外壁。防腐剤塗りたての新しい板には、イギリス製の

ガーデンツールをかけた。熊手(rake/レイキ)と、園芸フォーク。

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弧を描くメタル製オブジェは昔、ロンドンのChelsea Gardener (チェルシー

ガーデナー)で入手した寄植え用。現地ではぎっしり水苔を詰めて観葉植物を

植え付けていたっけ。母が生きていた頃、このオブジェに銅葉ベゴニアを植栽した

ことがあってなるほどなぁと感心した。我ながらマザコンだなぁと思うのだ

けれども、母とは、かつて親友で一緒にガーデニングを楽しんでいたという感覚が

ずぅっとあった。会うと私達は、彼女が撮りためた世界のガーデンをめぐる番組を

夜ふかしして見たり、いろんなガーデンショップをめぐったり、母の庭に割れた

陶器やガラスを敷きつめたコーナーを作ったりした。ロシアや東欧諸国で

その国の園芸誌を買ってきては母に渡し「結局、どの国もイングリッシュ・

ガーデンをベースにしてるんだね」と紅茶を飲みながら話したりした。

  

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まぁそんな思い出にひたりながら、壁面用のアイアンバスケットに花苗を寄植え

する。まったくもって彼女はガーデン用品を集めに集めたものである。寄植えに

用いた花はパンジービオラガザニア。いつもの農家さんで選ぶ花苗は、

こうしたいわゆる‘おばあちゃん花’が必ず揃えてあるところがいい。

添えたグリーンは斑入りアイビー、森に生えている蔓植物。私はよく、

森に「くださいね」と一声かけて植物をわけて頂く。この蔓植物はマサキの

ようだけれどよくわからない。きっとそのうち園芸博士が現れて、この植物の

正体を明かしてくれるだろう。

 

ところでパンジーのことをフランスでは‘思想’を意味する「パンセ」(pensee)

と呼ぶ、と植物にまつわる書物で知ってから「今日もパンセは物思いに

ふけってるかな?」とのぞき込むようになった。重さで前方に傾きがちに咲く

この花の顔を、深く思索にふけっているところと捉えたフランス人の感性。

 

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クリーム色のきつねのてぶくろ(ジギタリス)が入ったブリキ缶は、スペインへ

行った時に母へのおみやげに買ってきたもので、もう花の絵の部分がやけている

けれどパッキングに難儀した記憶とセットで愛着がある。

スペインでは、バルセロナからアンダルシア地方へ移動する夜行列車の中で、

近くの青年がパウロ・コエーリョの『アルケミストスペイン語版を読んでいた。

アルケミストは、アンダルシアの羊飼い・サンチャゴが夢のお告げに従って

エジプトのピラミッドまで人生の叡智を学びながら旅をする物語。

サンチャゴは、フランスからスペインにかけてピレネー山脈沿いの巡礼地、

サンチャゴ巡礼からとったのだろう。

アルケミスト 夢を旅した少年 (角川文庫)

 

 

 

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古いのこぎりの刃や陶器の花をかけた場所。ここはまだ何とか板がもっているので

板壁の応急処置はせず古いままだ。

 

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ズッキーニ、ナス、ピーマン、銅葉レタス、銅葉マリーゴールド、紫キャベツ、

ミニトマト、バジル、シルバーリーフのガザニア。厳密なコンパニオンプランツ

ではなく、自分の感覚によるコンパニオン(仲間)達。これで‘パンセ’と

一緒に買ってきた苗たちはすべて、各コーナーにおさまった。

 

 

ここからは、越冬して毎年 顔を出すダーチャのレギュラー達。

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セントーレア・モンタナ

 キク科ヤグルマギク

 学名:Centaurea montana

 英名:mountain cornflower

 和名:山ヤグルマギク、宿根ヤグルマギク

 

とげとげした花の姿が個性的な、きれいな紫色のセントーレア・モンタナ。

ヨーロッパ南部の山岳地帯を中心に分布する花で、‘モンタナ’はラテン語

「高地、山」の意。東欧各地で帰国後の「おすそわけハーブティ」を

チョイスする時、「アルパイン」という表現によく触れる。どうやら

ヨーロッパの大山脈「アルプス山脈」のような高所に咲く山野草

ブレンドされたお茶という意味合いで用いられている。

ちなみに‘セントーレア’はギリシャ神話に出てくる半人半馬の

ケンタウロスから。神話ではケンタウロス族のケイローンが負った傷を

セントーレアの花で治したとある。セントーレア(矢車菊)は種類が多く、

この神話の花は、エストニアの国花である青い矢車菊のことだ。

 

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こちらはセントーレア・モンタナの白。

 

この庭に、昔々に植栽された芍薬(ピオニー)も満開になった。

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芍薬

 ボタン科ボタン属

 学名:Paeonia lactiflora

 英名:Chinese peony

 和名:芍薬シャクヤク

 

芍薬はシベリア、中国、モンゴルあたりが原産。日本には中国から入ってきたと

いう。江戸時代には茶花として愛でられていたというのだから

帰化した歴史も長そうだ。

 

 

昨日の夜は稲光、雷鳴と土砂降りが激しかった。真夜中の不意の出来事に、

やわらかな芍薬の花はどうなったろう。いろいろ気になって、ちっとも

じっとしていられない。雪に閉ざされている期間が長い分、暖かくなると

どうやら生命を謳歌するしかない選択肢。

 

ギンザ洋装店、外壁の応急処置とパラレルワールド

 

東京の銀座で洋装店を営んでいたナルシマさんが、戦争で疎開してきたこの地でも

洋装店を営み、それでこのダーチャ前の坂に‘銀座坂’という愛称がついたという話。

 

c-dacha.hatenablog.com

 

その場所は旧簾舞通行屋前の通りにあった商店街と聞いたけれど、この地図を

見ると教えられた場所にあったのは別な洋装店で、ナルシマさんの洋装店はまんま

この場所だった。しかも‘銀座’はカタカナ表記の‘ギンザ’だった。昭和10年代の

カタカナ表記なんて相当ハイカラだったんじゃない?

で、昭和10年って今から何十年前になるかなぁ?って計算しようと一旦、西暦に

変換するこの作業。こうやってこれまでに何十回、何百回と和暦と西暦を換算

してきた。その間に和暦は昭和、平成、令和と変わり西暦とますますかけ離れて

行く。西暦と和暦、ふたつの時間軸が実しやかにカレンダーに並ぶ世界には、

そりゃ日常的に並行宇宙(パラレルワールド)も存在するだろうって思いたく

なるわけだ。なんてことを思いながら変換した「昭和10年」は西暦にすると

「1935年」だった。今から85年前の物語。

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この建物にナルシマのおじいちゃんがいてテレビや応接間があって、ここで紅茶を

ごちそうになったことがあるって覚えていたご年配の人がいた。この建物って、

昔も今も舶来物を好む人の利用頻度が高いらしい。

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腐って落ちていた部分をジャッキアップして、しっかりした柱を打ちつけて頂く

 

これまで、どれだけの人が「とりあえず」という名の応急処置を施してきたか

わからないこの小さな木の建物を、ミイラ取りがミイラになって維持しようと

する自分がいる。ふと、無数のパラレルワールドの中には、もっと早くに補修に

乗り出していた自分や器用にDIYする自分、そもそもここで暮らしていない自分も

いるんだろうなと想像する。もっと微細な、今と何も変わらないようだけれども

誕生日が違う自分、生まれた場所や家族構成が微妙に違う自分とか...。

今、自分と捉えているこの存在はいつも陽炎のようにゆらいでいて、実体がないと

思うとしっくりくるし、整合性がとれていると感じる。

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この面には毎年、かなりの量の雪がたまる。もはや再利用もかなわない腐った板を

取り除き、スタイロフォームを入れて新しく防腐剤をぬった板を張って頂いた。

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少し前の自分が想像していなかったような美しい光景が目前に広がる。

 

たぶん人間は、さまざまな場所を歩きまわりいろいろな情報をスキャンして脳内

モリーにインストールしているんだと思う。目や他の感覚機能で捉えたデータが

蓄積されて、ある一定値に達すると、それに関する事象が、実際(と思っている)

の世界に具現化(ダウンロード)される。今、こうして流れ出てくる言葉も

そうだ。それは映画『マトリックス』の、あの世界そのものを構築するコード

(上から下に落ち続けるデジタル雨)の表現に似ている。その流れ落ちる無数の

文字、記号、配列の中からこの状況や心境に最適と感じる文字列(単語とか

印象深いセンテンスまるごととか)を選択する。イメージにすると、流れ続ける

デジタル雨の中から指で使いたい部分を選んで抜き取る感じに近いかな。それを

パソコンのキーボードでこうして言葉に置き換えていく。

この作業はたぶん、言葉を紡いでいる。視覚と、左の手と右の手と。この両手で

言葉を紡ぐ時、まるで鍵盤楽器を奏でているような錯覚に陥る。すると鋭敏に

なった聴覚がキーボードを打つ時の小気味良いカタカタという音や旧型タイプの

冷蔵庫が出す機械音、山蝉の鳴く声や時折通る車の音などすべてを心地よい

アトモスフィア音楽として感知する。もしかするとこの世界には、キーボードの

「T」や「Y」「_」や「L」などの文字を打つ時の音の微細を聴いている人も

いるんじゃないかな。

  

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この写真を撮った時の自分はもういないし、でもまたいつかふとした時に現れる

かもしれない。どの自分になっても、軸にもどれればいいっていうだけのこと

なんだな、きっと。今日も庭が呼んでいるよ。

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