打ち捨てられたソ連時代彫刻のレクイエム
瀬戸内寂聴のコラムで、飛行機内で隣に座るのはどんな人だろうと
思ったら、格好いいブーツの足元、これは当たりと見上げたらそれが
辻仁成だったので大変楽しいフライトになったというのがあった。
すごくわかる。 飛行機で隣同士になったからと言っていつも話が
盛り上がるわけではない。日本人同士でもフライト中に交わした言葉は
お手洗いへ行く時の「すいません」くらいだったという事もままある。
モスクワ行きアエロフロート航空内。荷物棚へバックパックを入れようと
もがいていたら「お手伝いしましょうか」と丁寧な口調の日本人男性が
声をかけてくれた。そうか、お隣さんはこの人なのかと有り難く親切を
受け席についた。ロシアの法律を日本人留学生に教えている人だった。
ふだん接することのない法律の世界やロシア在住者ならではのエピソード
など、育ちの良い穏やかな話し方も相まって大変楽しいフライトになった。
トレチャコフ美術館新館近く。車道の向こう側はモスクワ川。
この男性に「時間に余裕があったら」と教えてもらったおもしろい場所。
それが Muzeon Art Park だった。
トレチャコフ美術館新館前
仕入れ後半、雨の降る悪天候。こういう時は無理に動き回らず予定変更。
「もしも時間があったら」リストに入れておいたトレチャコフ美術館‘新館’
(Tretyakov Gallery)へ行く事にした。トレチャコフ美術館には本館と
新館があって、本館はサンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館と
同じく1時間は並ばないと入れない。が、カンディンスキーやシャガール
(フランスの画家だと思っていたらベラルーシ出身だった)、グルジア
絵画など、ロシアでもより個性的でアヴァンギャルドな現代美術が収蔵
される新館は、そうでもないというから肩すかし。
しかも、教えてもらった「おもしろい場所」は、この新館裏にある公園だった!
いつも思うけど岡田真澄とスターリンは他人の空似を越えているよ。
ロシアではソ連時代の片鱗に触れる機会が多くある。プロパガンダアートを
アイコン化したリプロダクト製品(Tシャツ、グラス、マトリョーシカ等)
など。空港のスーベニールショップでは宇宙飛行士ガガーリンと一緒に
レーニンのTシャツが並んでいたりする。割り切ったポップアイコン化。
国としてのあっけらかんとしたたくましさを感じる。
飛行機で隣になった男性が教えてくれたのはリプロダクトではなく、
本物のソ連時代の忘れ形見に触れられる場所。それが Muzeon Art Park だ。
ここにはレーニンやスターリンをはじめプロパガンダに用いられたソ連時代
の彫刻物が多数、収集展示されている。
ソ連が崩壊すると、長年溜まった鬱積を晴らすようにロシア各地で時の
権力者の彫刻が壊されたり、撤去されたりした。(撤去されてこの頻度?
というくらいロシアを歩くと彫刻が多いけれど...)行き場を失くした
ソ連時代の迷惑な遺物を一箇所に集めようということで選ばれたのがこの
公園だった。いわばここは、打ち捨てられた彫刻物のお墓なのだ。悪天候で
歩く人もない裏寂しい公園内には、首のない彫刻なども無造作に置かれて
いた。その光景はまるで、行き場を失ったもの達のさいごの安息地、
レクイエムの場なのだった。