Solo Solo Shanti ソロ・ソロ・シャンティ
閉じかけたオリエンタルポピーの花は三角形をしている。
つぼみが大きく少しずつ花びらの開く様子を眺めることのできるこのポピーには
先日のシャーレーポピーのような「ある日とつぜん感」がなかったりする。
ケシ科ケシ属
学名:Papaver orientale
英名:Oriental Poppy
和名:鬼芥子・鬼罌粟(どちらもオニゲシと読むけれど、後者の漢字の真ん中の
文字、初めて見た)
雨模様だったけれど、仕事が一段落したので海へ行くことにした。コロすけ自粛
期間中からずぅっと行きたかった石狩の浜辺。ここはハマナスなどの海浜植物が
自生していて、その種類は180種に及ぶ。波の音を聴きながら海浜植物の間を
ぬうように歩くのがいいし、石狩川と日本海が合流するポイントなのもいい。
車で1時間ほどの距離は気分転換のドライブに最適だし、以前、もっと近くに
住んでいた時は真冬にも訪れていた。春夏の快晴のもと点在する海浜植物の花を
鑑賞するのも、秋に強風で波の轟くのも、冬の雪に閉ざされ険しい感じも、どの
季節に訪れてもこの場にしかない魅力がある。
家から遠のくほどに小雨になり、海が近づくにつれ雨脚は弱まっていく。そして
到着する頃には完全に雨はやんでいた。車をおりると湿気を帯びた潮の香りが
漂っていて、遠くで波の音が心地よいリズムを奏でる。日はすでに暮れかかって
いたけれど厚い雲に覆われた空の濃淡を帯びた藍色が美しい。
浜辺へ出ようと歩いて行くと、ちょうど道の先にワゴン車が停まっていた。
工事車両が何か作業をしているのか、すべてのドアが開け放たれている。
何にせよその車の横を通らないと浜辺へ出られない。近づいて行くと女性の、
英語の話し声。誰かと電話しているみたいだ。いきなり車の脇に現れた私に
彼女も驚き、でも私ひとりな事に安堵したようだった。その間にも、今日という
日を照らした陽光はすでに姿を消しかけている。「こんばんは」と通過する
だけの意思を示して浜へ出た。
海は凪いでいた。陽が海の向こうへ完全に沈み、辺りの判別がつきにくくなる。
遠くで灯りがきらめいている。波は一定のリズムで浜と沖とを行き来している。
何にもじゃまされることのない、穏やかで静かな時間。もう10年以上も前になる
けれど、車中泊旅行で北海道へ来た友達夫妻を案内しがてらこの浜辺で
バーベキューした時の光景がふと蘇る。ふたりはその後、紆余曲折あって
別れてしまったけれど、あの日ここですごした楽しい時間は永遠に、そのままの
形で記憶の箱の中にある。
暗い中で撮ったのでふしぎな写真になった。
海と川が合流する場所へ移動しようと再度、ワゴン車の脇を通る。この時に女性と
会話を交わした。1週間前、東京から飛行機で北海道へ入り車をレンタルして
道内を旅している最中という。「Covid-19で大変じゃなかった?」と聞くと
「ちゃんとマスクしていれば問題なく」とのこと。ワゴン車をレンタルして
車中泊しながらひとり旅するなんて、何て素敵な。しかも海に面したこの場所で
プライベートビーチを堪能する選択。「Cool! I like your style」と告げると
嬉しそうに微笑む。それよりも何よりも。まさかここで誰かと会うなんて想像も
していなかった。かなり驚いたと言うと彼女も「Me too!」。お互いに Solo
(ソロ、ひとり)で動く身軽さが引き合わせたのかもしれないという旨を話す
語彙力がない。「ひとり旅は何かしら思いがけない楽しいハプニングをもたらす」
とりあえず知っている単語を並べ、ニュアンスで伝える。東京で暮らして1年に
なるという彼女はカナダ人で、たぶんこのくらいのやりとりに慣れている。
「お名前は?」こう聞かれる時いつもアーシュラ・ル・グインの『ゲド戦記』の、
「本当の名前は信頼できる間柄でしか交わし合わない」という魔術師同士の
しきたりのシーンを想起する。ゲド戦記では「自分自身の本当の姿を知る者は
自分以外のどんな力にも利用されたり支配されることはない」ともいう。
本当の名前、ホーリーネーム。さて。この世界で自分に与えられた本名という
ものは、果たして真実の名なんだろうか。名乗るというほんの束の間の
時間にもつい考えてしまう。そうしたら、彼女が先に自己紹介した。
「I'm Shanti」。「シャンティ?まるでインドの響き」と返すと「本名の音が
呼びにくいので、普段は皆にこう呼んでもらっているの」と言った。
シャンティはヒンドゥー語で「心の平安、寂静、内なる平和」を表す。
穏やかな口調の彼女らしい、なぜかホーリーネームだと思った。根拠がまったく
ないのだけれど名前を教えてもらった時、今日このタイミングでここを訪れた
理由がわかった気がした。